歌スクマガジン

2022.09.27

ヒカル インタビュー

友達伝いにラルク好きな全メンバーが集まったので、学校外でバンドを組んでました。

──音楽や歌に触れたきっかけを聞かせてください。

ヒカル はっきりわかるものは、ピアノを2歳から高校卒業まで続けてました。先生が怖かったんですけど、コンクールとか出てビシバシやってましたね(笑)。でも練習が嫌いで、練習したフリして行ってたので、大したことはなかったです(笑)。ピアノはそんな感じだったんですけど、歌を歌うのがすごく好きになったので、やっぱりピアノはやってて良かったかなと思いますね。

──歌をやり始めたのは、いつ頃からですか?

ヒカル ずっとL’Arc~en~Cielが好きだったんですね。それで中3になって高校受験をしなきゃいけないっていう時に……まあ勉強もするんですけど、ラルクのライブDVDを観ながら一緒に歌うっていうのにすごくハマってたんです。その時に「あれ!? これ私、歌を歌うの好きじゃない?」って気づいて。高校も志望校があったんですけど、バンド部みたいなところがあった別の高校に志望校を変えて入りました。ギター・マンドリン部という名前だったんですけど、学校の雰囲気とかも、こっちのほうが合いそうだなっていうのもあったので。

──もちろん入学後は、そこへ入部したでわけですね。

ヒカル すぐ行きました。ピアノをずっとやってたので、ピアノでも良かったんですけど、やっぱりラルクを見ていたというのもあるので、ハンドマイクで歌をやりたいなっていうのもあったし、何ならギターもやってみたいなって思いもあったので、アコースティックギターを買って、すぐエレキも買って練習したんですけど、結局「やっぱ歌だな」と思ってけっこうハンドマイクでやってましたね。

──ラルクはいくつの時に、どの曲で好きになったんですか?

ヒカル どっちが先かっていうのも難しいんですけど母がすごく好きで、初めて買ったCDもラルクの「侵食」だったと思うんですよ。「あんなバンドをやりたい」ってすごく強く思うようになって、そこからですね。当時住んでいたところにカラオケボックスはなかったんですけど、高校は街なかだったので、わりとカラオケも行きましたし、すぐバンドも組んだので。ちょっと世代も違うんですけど、友達伝いにラルク好きな全メンバーが集まったので、学校外でバンドを組んでました。

──部活には属しているけど、学校外でラルクのコピバンを組んだ?

ヒカル そうです。それぞれの楽器陣もラルクが大好きっていう子が奇跡的にキュッと集まって。楽しかったですね。

──なんてバンド名にしましたか?

ヒカル Dessin de fleur(デッサン ドゥ フルール)っていうんですよ。なんか、ソレっぽいんですけど(笑)。「花を描く」みたいな意味です。当時のチケットも自分でロゴを手描きしてたし、背中に羽を付けてライブしてました。ラルクメインでやってたんですけど、途中から「オリジナル曲を作ろう」となって。そのバンドでオリジナル曲を作ってライブもできるだけしようって活動してました。

──オリジナルの代表曲のタイトルは?

ヒカル なんだっけ? タイトルは忘れたんですけど、ラルクの「snow drop」みたいな曲を作っていたことはメチャクチャ覚えてます(笑)。「いい感じにできたな」ぐらいな……懐かしいです。オリジナル曲を作る楽しさを高校の最後のほうに知れたので、やっぱり音楽やりたいなと思って、本当は音楽の専門学校に行こうかなと思っていたんですけども、それはやめて。愛媛でちょっとメディアの仕事をしたいなと思って。地元のTV局のニュースの現場のアルバイトしたり、深夜の生放送枠でしゃべる仕事もしていました。

──タレントさんとして活動もしていたんですか?

ヒカル 中学とか高校の時に、東京や大阪へ夜行バスに乗ってオーディションを受けに行ってたんです。でもまあ、いろいろあって上京する機会を逃してたんですよ。それで、「じゃあ愛媛でタレントとしてやっていこう」と思って。それで「ラジオのオーディションがあるよ」っていうのを聞いて応募したら受かってしまい。それから今のMCの仕事とかラジオでしゃべったりっていうのがスタートしましたね。

──それはおいくつぐらいからスタートしたんですか?

ヒカル 意外に遅くて23歳ぐらいから始めて、現在まで……みたいな(笑)。

自分が歌をやっていて「これは絶対そうだな」って納得したことを伝えてた感じですね。

──教えるというのは、どういったきっかけで?

ヒカル 音楽の会社をやっていたことがあって、その時に初めてボイトレの講師をしたんですよ。かなり早くて19歳くらいからです。急に先生が辞めるってなりまして、私は運営だったんですけど、運営しながらけっこうな人数を一対一で教えなきゃいけなくなってしまって(笑)。地元の弾き語りの子とかバンドの子もいたし、一般のボイトレをやりたい方もいました。自分が若いのですごく難しかったんですけど、いろんなパターンの人を見ることができたし、やっぱり人に伝えるってことが勉強になったんですよね。自分の音楽活動とか声を出すことでも、「あ、こういうパターンもあるんだ」みたいに、すごく吸収できた時間でもあったんですよ。音楽の会社では地元のアーティストの子たちを集めて曲を作ったり、いろいろ売り込んだりっていう、みんなのマネージャーみたいなこともしていたので、人の歌を聞いて意見を言うことが若い時から多かったんですよね。それは今に繋がっているのかなと思います。

──ヒカル先生は、現役ミュージシャンをやりながら裏方もやるということを、ずっとやってきた感じなんですね

ヒカル そうです。自分がやりたいなって思いつつ、裏方をずっとやりながら、自分が出る時は出る、みたいな感じで活動してました。

──メソッドとしては何を頼りにやっていたんですか?

ヒカル 自分が歌をやっていて「これは絶対そうだな」って納得したことを伝えてた感じですね。生徒さんが悩んでいることへの解決法を「一緒に見つける」みたいな感じで勉強していったかなと思います。

──本を読んだりインターネットで調べたりは? 

ヒカル 本を読んでやってみるっていうのはやっぱり勉強になったんですけど、本から実践するのって難しいじゃないですか。なので、本を読んでやってみたことを自分なりに噛み砕いて伝えてました。

──トレーナー歴としては、けっこう長くなった感じですかね?

ヒカル そうですね。もう14年くらいですかね。その会社を辞めてすぐ個人でスクールを始めて8〜9年くらいですが、ずっと途切れずに教えています。

──スクールを立ち上げた当初は、どうやって生徒さんを集めました?

ヒカル 最初は知り合いの人が「歌を歌いたいんだけど」って。始めるきっかけもそうだったかもしれないですけど、「何か教えたりしてないの?」みたいなものはあったと思いますね。インターネットを見て来る方も最近は多いんですけど、ラジオを聴いてくれてて問い合わせが来ることもありますね。

──ヒカル先生のホームページでも、ヴォーカルトレーニングは活動のひとつというスタイルとなっています。

ヒカル あっそうです。今はちゃんと真面目に更新していないですけど(笑)。一応「声を出す」っていうのをひと括りにして、MCと、ヴォイストレーニングがホームページの中に一緒にある感じですね。

──現在もAQUBEEというバンドで活動中ですね。こちらはどれくらい前から?

ヒカル もう6〜7年やってますね。ベースの子が同じ出身地で学年は違うんですけど小中高一緒で、ずっと昔から知っていて。「ちょっとやってみる?」という感じで始めました。だいたい月に2本ぐらいのペースでライブもやっています。ウチはちょっと変わっていて、海でライブしたり、カフェ、お祭りでライブしたりをメインにやって、たまにライブハウスに出る、みたいな感じです。

──愛媛で音楽活動をやろうっていうことが、全部叶えられているんですね。

ヒカル そうですね。今はやりたいことを全部やってます。

──今日の撮影場所に提供していただきましたが、さらにお店もやっていらっしゃいます。

ヒカル 松山市内でバナナジュース専門店とタコス専門店をやっています。私には娘がいるんですが、娘が生まれてちょっとして「やりたいことリスト」を書いたことがあったんですね。その中に「お店を開く」っていうのがあって。自分で「あ、お店開きたかったんや!?」って思って(笑)。他にもいっぱいやりたいことがあって、「これ、早くしないとやりたいこと全部できないぞ」って気づいたんですよ。それでグワーッと作ったお店なんですけど。娘が生まれて「あ、これは健康のこと気をつけよう」と思って作ったのが最初のバナナジュース専門店だったんですよ。毎日飲んだらすごい健康的だなって、自分が好きなもので作ったお店です。タコスも野菜がいっぱい採れるし、自分がすごい好きだからっていうので、今年の1月末に始めました。キッチンカーも同じくらいに始めて、やることが一気に増えましたね。

──何足のわらじを履いているんですか(笑)。

ヒカル そうなんですよね、やりたいこといっぱいなんで(笑)。

私自身もそうですけど「やりたいことをやる」っていうのが大事かなと。

──スクールの生徒さんは今何人ぐらいですか?

ヒカル 今は6〜7人かなと思います。ちょっと前までは大人の方しかいなかったんですけども、いつの間にか子供が今すごく多くて。子供に英語ではなくピアノではなく、歌を習わせてあげたいと考えるお父さんお母さんが、こんなにいるんだな。素敵だなって思います。もしかしたら「子供がやりたいことをやらせてあげたい」って思うお父さんお母さんが増えているんじゃないかなって、ちょっと感じてますね。

──子供さんや親御さんからは、どんな要望があるんですか? 

ヒカル やっぱり「いろんなところに出たい」っていう人もいますし、また、「大きい声出すのが苦手だから、人前でも恥ずかしくない大きな声を出せるようにしたいです」っていう人もいます。多種多様じゃないですけど、いろんな人がいますね。

──指導の基本姿勢、一番大事にしていることは?

ヒカル 絶対に「楽しい」ことですね。私自身もそうですけど、「やりたいことをやる」っていうのが大事かなと。同じ時間を使っても、「やりたいことができている時間を人生の中でいかに多くできるか」に重きを置きたい。曲とかもそうですけど、生徒さんのやりたい曲でレッスンできたらなと思ってます。

──先生の得意なジャンルや、ここが自分の強みだと思うところは?

ヒカル 私はもともとアコースティック・グループも組んでいて。それがけっこう長かったんですけど、それで今はポップスのバンドをやってます。また最近K-POP、特にラップが好き。もともと好きなのはL’Arc~en~Ciel……ってことで、私の強みは幅が広いことです(笑)。いろいろなジャンルの良さがわかるかなと思います。

──ラルク好きな方が「歌を教えてほしい」と来たらどうですか?

ヒカル めちゃくちゃ嬉しいです。あのー、『DUNE』(1stアルバム)から対応します(笑)。逆に最近の曲はちょっと私も勉強したいんですけど、けっこうディープなところから……(私が)喜びます(笑)。hydeさんのすごさって、もちろん音域だったり滑らかさだったりいろいろあるんですけど、私はレンジだと思うんですよね。迫力があるところと繊細なところの幅がすごく素敵だと思います。これって洋楽を歌いたいとか、サビで盛り上がりたいとか、ほかのことにも絶対使えるので、この「レンジを鍛えたいな」って思いますね。そうしたら応用も効きますし「hydeさんみたいに歌いたい」といった時に絶対必要な力になるかなと思います。

──女性でラルクの歌を歌いたい方も多いですよね。

ヒカル はい。女性でラルクをさわやかに歌い上げたカッコいいと思うんですよね。私はキーを上げて歌うことが多いんですけど、そうなると下がキツイんです。それで上げるんですけど、hydeさんは上も高いところまで出るんですよね(笑)。でも、下に比べれば上はけっこう広げられるので、そうやって上を伸ばしながら教えるのかなと思います。

──楽しみにしています。それでは、『歌スク』を見ている方にメッセージをください。

ヒカル オンラインだからこそ出会えた先生と生徒さんの繋がりって、すごく大事かなと思います。「この人の話はわかるな、刺さるな」っていう先生が必ずいると思うし、私も「わかるな、レッスン楽しいな」と思ってもらえるように頑張りたいなと思います。レッスン曲に関しては、やりたい曲でやったほうが絶対いい。「これやりたい」と言っていただいたら対応できると思いますので、何でも言ってください!

撮影:伊賀上将司(コアラプロダクション)


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